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わんこと私 グッドライフ

京都と志摩で2拠点生活。犬のこと。私のこと。50歳を過ぎてこれからの夢に向かって。

長寿とか、長生きする秘訣はもういいんじゃない?短命だとしても寿命を苦痛なく終えられる方法が欲しい。

50歳を過ぎての話題。

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長寿長寿と言い続けてきた日本人。

世界有数の長寿国となり、その願いは叶ったけれど、長生きしてるがゆえに沢山の苦痛が

増えてしまった現実が見えます。

 

身体が不自由になったため施設に入ったら、そこの職員に虐待されて殺された?・・・耳を疑うそんなニュースを聞くと、いたたまれない気持ちになります。

自分を犠牲にして家族を養ってきたお父さん、ご主人や子供の健康を気遣い慎ましく生きていたお母さん。

その一生がまさか、そんな終わり方?

せっかく長生きしたのに、それまでの人生はなんだったのだろうと思わされます。

これ以上惨い事は無いと認識していた「姥捨て山」の方が、まだ人間らしい最期を終えられたとさえ思ってしまいます。

 

『人生50年』ではさすがに短いとは思うけれど、「80歳!ご長寿やな。」って言っていた時代が、ちょうど良かったのでは?と思います。

長生きしてもお金の心配がいらない、信用できる人を個人的に介護で雇えるくらいのお金持ち以外は幸せな老後とは一概に言えない長寿という夢の実態。

やはり、長い命を欲しがることは不自然ではないでしょうか。

 

私個人的には、看取るべき人を看取ったあと65歳位で寿命を終えるのが理想です。

死ぬことは避けられないのだから怖くないです。

でも、「どうやって死ぬのか。」が怖いです。

死んでしまう位なのだから、余程痛いか、余程怖いか・・・そんな思いをする事が恐ろしいです。

「自殺」ではない、出来る限り苦痛が無い「寿命」の全うの仕方。

命の研究として、これからは「長寿」の方法ではなく、恐怖の緩和に尽力を注ぐ時代になったのではないでしょうか。宗教的ではなく科学的に。

 

 そんな事を考えるようになったのは、飼っていた2匹のプレーリードッグ(テンとすみれ)や先代のシーズー犬チャッピーの「死」に接してからです。

それぞれ、癌・頭部の腫瘍・心臓病で亡くなりました。

 

ガリガリにやせ細った、テン

けいれんを何度も繰り返す、すみれ

肺に水が溜まって呼吸に苦しんだ、チャッピー

 

3匹とも一般的な寿命の歳になって発病が見えたので、病気がわかっても手術などを施すことはしませんでした。

痛みや苦しみを緩和する薬を飲ませて2ケ月~3ケ月、最後の時間を過ごしました。

ただ、飼い主としてはどの時点で延命に繋がる選択をしないかに悩みました。

それぞれの病気を緩和する薬。

どの時点で「この子の寿命」と見極めて、投薬を終えるのか・・・

とにかく「これ以上苦しまないで。」と、そればかり願いました。

 

どの子も最後の最後まで、一生懸命生きる姿を見せてくれました。

肺に入った空気を最後に吐き終えるまで。

それが動物として生まれてきたもののお手本の死に方と、教わったと思っています。

動物たちの生と死を見て(見させてもらって)、人間にとっての寿命って何だろう?と思うに至った次第です。

私は動物を通して死生観が変わり、人間社会も変化して欲しいと思うようになりましたが、世間一般の考えとしてはどうなのでしょうか。

検索して見ると既に2008年の時点で、このように書かれているブログを見つけました。

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長生きは良くない。悲惨だ。

そんなことを堂々と主張している本を読んだ。

久坂部羊(くさかべ よう)「日本人の死に時幻冬舎新書、07年1月刊)である。
副題に「そんなに長生きしたいですか」とある。

 

医療の進歩、人々の価値観の変化 
日本人の平均寿命が短かった頃、人々は、年をとったり病気になったりすると、食べたり飲んだりができなくなり、今のように進んだ医療を受けることなく、自然と死んでいた。
今では、先進的な検査を受け、病因が突き止められ、手術を受け、抗ガン剤などの進んだ医薬の投与を受け、食べられなければ点滴やチューブでの栄養補給で、とことん生かされる。
死ぬときは身体がチューブだらけということもある。
それはほんとうに良いことなのだろうか。
必要以上に長生きさせられてしまい、つらいだけではないか。
長生きは危険、と著者は書く。
苦しみが長びくだけで、延命は価値あることなのか。
これは医療側だけに突きつけられた問題ではない。
医療を受ける側の問題でもある。
人々は欧米流の生活になれ、医療技術の進歩を恩恵とうけとめ、ふだんの健康についても、いざ病となったときも、本人も家族も、とことん手を尽くそうとする。
その結果が上に書いたような実態である。
「医療が創り出す悲惨な臨終」である。
この変化が、ほんとうにいい生き方、いい死に方をもたらしたのか。
著者はそう疑問を突きつけている。
もっと自然に死を迎えるのが日本人だったのではないかと。

 

死をサポートする医療は医療費を減らせる 

国民医療費がますます増額していくことが国の将来にとって問題となっている。
高齢者の割合が増え、若年層が減少し、負担増が問題になっている。
後期高齢者医療制度」などという、おぞましい名の制度が新設される。
終末期といわれる死の直前の医療費が大きな負担となっている。
老人は老人同士で負担してくださいという制度なのだろうか。(健保からの負担があるそうだが)。
終末期医療費は老人の医療費の20%を占めるという。
国民一人が一生使う医療費のほぼ半分が、死の直前の2ヶ月に使われるという。
無駄な延命を多くの人が拒否して、楽な死を選ぶようになれば、ずっと少ない費用ですむようになるだろう。
医療が創り出す悲惨な臨終をなくし、苦しみを抑制してもらって、楽な死を迎えることが、医療費の問題も軽減するのだ。

 

日本人の死に方

書名に「日本人の」とつけたのには、著者の格別の意図があったようだ。
日本人には日本人なりの死生観があった。
それにのっとって、明治の人、大正の人は、病を得ればじたばたすることなく、従容と自宅で家族に看取られて死を迎えていた。自然な死を尊んでいた。
これだけ医療技術が進歩した今、そこに戻ることはできないだろうが、死に方、死に時を見直してみようとの著者の主張に耳を傾けてみるのも良かろう。それは同時に良い生き方を考え直すことにつながる。

著者は、江戸期の歌人・禅僧の良寛が、大災害に見舞われた知人に宛てた手紙の言葉を引いている。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」。

 

 長生きはよくないと久坂部医師: Aquarian's Memorandum

 

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まさに今、私が思っている内容が書かれていて、とても興味深いブログです。

最後の方にこのように書かれています。

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病院に行かない選択肢 

著者は、ある年齢以上の人は病院に行かないという選択肢を提案している。
その利点としてあげているのは、
1)濃厚医療による自然でない死を避けられる。
2)つらい検査や治療を受けなくてすむ。
3)よけいな病気を見つけられる心配がない。
4)時間の無駄がなくなる。人生の最後はひたすら病院通いという。
5)お金の無駄を省ける。
6)精神的な負担が減る。病院に行けば安心というのは幻想。かえって不安を増す。
もちろん病院に行って治る病気もある。死に至る病かどうか、自分の実感で見極める必要があるだろう。
著者は、1−3ヶ月で治療の効果があらわれない病気は見切りをつけたほうがいいと勧めている。

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私は、生前の川島なお美さんがあまり好きではありませんでした。

ですが彼女の「死に対する生き方」によって見方が変わり、今ではとても尊敬する女性であります。

癌治療をせず、寿命をまっとうした彼女の美しさ。

彼女の選択が今の私には、とても腑に落ちます。